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令和の里・大宰府 福岡県太宰府市 [旅]

平成もあと1週間ばかりとなり、世は新元号「令和」を寿ぐお祭り気分である。

今回の九州旅行、この辺りに「水城」という白村江の戦いの時に作られた土塁と堀の遺構があって、それを見に来た。

しかし、資料館の方が、「今、大宰府に来たのなら、坂本神社を絶対見なくては」と勧めてくれた。「令和発祥の地」だというのだ。せっかくだから、見ていくことにした。

令和発祥の坂本神社。かつて、ここに大伴旅人の屋敷があって、梅花の宴が催されたのだという。

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小さな神社だった。はっきり言って、何の変哲も無い。
多分、今回元号が「令和」にならなかったら、百年1日のごとく、古くのどかな神社であり続けていただろう。そこに今、スポットライトが当たって、平日だというのに大勢の参拝客で賑わっていた。

こちらはその隣の「大宰府政庁跡」。
大宰府は都から派遣された太宰帥(長官)の政庁のあった場所で、大陸との交易の玄関口。見方を変えれば、国防の最前線で、防人の町でもあった。

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以前訪れた時の、あの閑散とした遺跡のイメージはない。
ここも、高校生が大挙してお弁当などを広げていた。

大宰府は菅原道真の左遷された場所として有名だが、太宰府の長官が皆左遷で来たわけではない。むしろ、漢籍の知識が必須で、エリートが派遣されたとのことだ。大陸との外交官的な役割からなのだろう。

今回にわかに有名になった大伴旅人も、太宰の帥(そち)として派遣されてきた。その時の筑紫国守が山上憶良。造観世音寺別当が沙弥満誓。梅花宴のメンバーは、そのような地方官たちだった。

集まって、花を楽しみ、歌を詠み、お酒を飲み、なかなか楽しそうである。
彼らは「万葉集筑紫歌壇」と呼ばれている。

大宰府政庁跡の資料館にある、梅花の宴のジオラマ。
菅原道真も、こんな風にこの土地を楽しめたら良かっただろうにね。

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お隣の観世音寺。
古くて端正なお寺である。

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帰り道、大宰府市役所の前を通った。

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「祝 新元号「令和」ゆかりの地 太宰府市」とある。
周辺は、観光の人と車がひっきりなし。経済波及効果も大変なものだろう。

元号はいらないとか、令和はおかしいとか、ネガティブな意見があるとも聞くが、私などはやはり新しいものには心が踊る性分だし、九州旅行に来て太宰府市のこのような盛り上がりを目の当たりにすると、よろこびを分けてもらったような気分になる。

令和が明るい時代になるといいね。




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middrinn

万葉集には全く詳しくないのですが、犬養孝『万葉の旅(下)』の
「この間、歌壇は大和から筑紫にうつった観さえもある」という
筑紫歌壇評を読むと旅人と憶良は凄い存在感だったんですね(^^)
by middrinn (2019-04-24 13:33) 

YURI

middrinnさま
コメントありがとうございます。
「歌壇が大和から筑紫にうつった感」ですか!確かに、旅人と憶良は時代を代表する歌人ですね。大宰府の重要性も、今私たちが思う以上だったのかもしれません。
しかし、middrinnさんって、ほんと博識。

by YURI (2019-04-25 09:52) 

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