国立民族学博物館 大阪府 [博物館]
年がバレるから、大阪万博の時何歳だったかは書かないが、とにかく国を挙げての大事業だったのだろう、子供ごころ(ここ、大事)にも大阪万博はワクワクするイベントとして覚えている。
昭和45年(1970年)のこと。
「こんにちは〜、こんにちは〜、世界の国から〜」という歌もあった。
もう半世紀前の話。
その大阪万博のシンボルが、これ。
太陽の塔、作者は岡本太郎。
先日は、この塔のある「万博記念公園」に行ってきた。
大阪府の吹田という所。モノレールに乗っていく。
「万博記念公園駅」周辺は、ガンバ大阪のホームスタジアムがあったり、ららぽーとがあったり。ニュータウンや大阪大学の付属病院も近いが、基本的には大都市大阪の郊外という印象。
太陽の塔の横顔。
まず、博物館の正面にあるバラ園を歩いてみた。
太陽の塔の、後ろの顔が見えている。
ここのバラ園は、リニューアルしたばかりらしく、バラはいずれも背丈が低く、まばらな印象。「わぁ〜!」というようなバラ園になるには、あと数年かかりそう。
そして、本日のメイン、「国立民族学博物館」へ。
この博物館は、世界中のさまざまな民族の生活様式、衣服や祭祀の道具などを、「これでもか」というくらい集め、展示して見せてくれる。
例えば、下はアジア各国の「笠」の展示。
こんな風に並べられると、国が違っても同じだなあ、という点と、民族によってデザインや色使いが違うのだなあ、という点が、否応無くわかる。
こちらは、中国の各民族の衣装。中央の紺色が漢民族の農民の服装。
これは、同じく中国の満州族の服。清朝の皇帝のものだったかも(うろ覚え)。
映画の「ラストエンペラー」が、こんな服だったような気がする。「中国」と一口に言っても、多種多様な民族の集まりなのである。
というわけで、ここに続いて朝鮮、日本、などを見ていくと、同じ点、違う点、いろいろ見えてきて面白い。今回は「アジア」に絞って見学した。
いいなぁと思ったのは、ウズベキスタンの生活空間。
そして、ウズベキスタンの皿。
民族学博物館の遠景。
万博記念公園はとても広く、緑が豊か。絶好の散歩コースだった。
昭和45年(1970年)のこと。
「こんにちは〜、こんにちは〜、世界の国から〜」という歌もあった。
もう半世紀前の話。
その大阪万博のシンボルが、これ。
太陽の塔、作者は岡本太郎。
先日は、この塔のある「万博記念公園」に行ってきた。
大阪府の吹田という所。モノレールに乗っていく。
「万博記念公園駅」周辺は、ガンバ大阪のホームスタジアムがあったり、ららぽーとがあったり。ニュータウンや大阪大学の付属病院も近いが、基本的には大都市大阪の郊外という印象。
太陽の塔の横顔。
まず、博物館の正面にあるバラ園を歩いてみた。
太陽の塔の、後ろの顔が見えている。
ここのバラ園は、リニューアルしたばかりらしく、バラはいずれも背丈が低く、まばらな印象。「わぁ〜!」というようなバラ園になるには、あと数年かかりそう。
そして、本日のメイン、「国立民族学博物館」へ。
この博物館は、世界中のさまざまな民族の生活様式、衣服や祭祀の道具などを、「これでもか」というくらい集め、展示して見せてくれる。
例えば、下はアジア各国の「笠」の展示。
こんな風に並べられると、国が違っても同じだなあ、という点と、民族によってデザインや色使いが違うのだなあ、という点が、否応無くわかる。
こちらは、中国の各民族の衣装。中央の紺色が漢民族の農民の服装。
これは、同じく中国の満州族の服。清朝の皇帝のものだったかも(うろ覚え)。
映画の「ラストエンペラー」が、こんな服だったような気がする。「中国」と一口に言っても、多種多様な民族の集まりなのである。
というわけで、ここに続いて朝鮮、日本、などを見ていくと、同じ点、違う点、いろいろ見えてきて面白い。今回は「アジア」に絞って見学した。
いいなぁと思ったのは、ウズベキスタンの生活空間。
そして、ウズベキスタンの皿。
民族学博物館の遠景。
万博記念公園はとても広く、緑が豊か。絶好の散歩コースだった。
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