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Stay Home でみた映画 [映画]

Amazonプライムで、世界の終末もの映画を立て続けにみた。
我ながら怠惰な生活に陥っているような気がするが、お天気が悪ければこんなものだ。

映画の世界の終末は、核戦争、あるいは致死率100%のウィルスによる感染症、隕石衝突、などによるものが多い(サンプルはアメリカ映画、イギリス映画)。

生き残る人は、大抵は山奥で暮らしていたり、たまたま仕事で地下の施設にいた人たち。ごく稀に特異体質。都市や近郊で生き残った人々は、大抵は少ない物資の奪い合いなどで厳しいサバイバル生活となる。

核戦争を僻地で免れた女性と、生き残って流れてきた男性二人による三角関係もあった。「死の谷間」という作品。これは、風光明媚な山岳地帯で、美しい女性と男性二人のステイホーム生活のサバイバル。案の定、二人の男性が女性を巡って心理戦を繰り広げる。

アダムとイブの暗示が挿入されているが、それならば、女はバンバン子供を産んで、未来の人類を残さねばならない。でも、映画の終わりまで、そういう前向きな方向へは話が進まない。なんともビターな作品だった。

「フェーズ6」という作品の、「食料備蓄を抱え込んで家に閉じこもったやつは、みんなそのまま感染して死んだんだ」というバイオレンスなセリフは、どうなんだろう。それで、安全な場所を目指して、車に物資をたくさん積み込んで街を出るわけだが、今いる場所よりも安全な場所がどこかにある、というのは、結構ありがちな設定。

アメリカの野中の一軒家ならば、とにかく籠城していた方が安全ではなかろうかと思うのだけれど、荒地の中の一本道を、アメリカらしい大型のランドクルーザーで疾走していくわけだ。大抵はガス欠になったり、物資目当ての集団に襲われたりする。

日本人なら多分、こんな風には作らない。狭い日本、逃げる場所などないことは誰でもわかるし、簡単に家や村を捨てないことは、日本人にとっては美徳なのだ。多分、「7人の侍」の農民たちのように、コミュニティを守るドラマになるのではないか。

「シンゴジラ」も、壊滅状態の東京を舞台に、セコい「山手線爆弾」などでゴジラに立ち向かう日本人が描かれていた。ゴジラが災害や侵略者の象徴であるなら、かっこ悪いやり方で、でも徹底的にゴジラに立ち向かう官僚たちは、今回の批判を浴びながらも日夜ウィルス対策取り組む日本政府並びに研究者、医療関係者そのものだ。日本人の私には、こちらの方に共感できる。

と、まあ、映画三昧で、Stay Home に精を出している。気楽そうかもしれないけれど、これも闘いなのである。










タグ:シンゴジラ
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映画「オリエント急行殺人事件」 [映画]


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以前、フジテレビが製作した「オリエント急行殺人事件」。録画してあったものを見た。三谷幸喜の脚本で、野村萬斎のエルキュール・ポワロ(名称は勝呂武尊)。

舞台は日本に移しているが、時代を昭和初期に設定したおかげで、公爵夫人、伯爵、退役大佐、執事、料理人、運転手、など、アガサ・クリスティ原作とほぼ同様の役柄設定が可能になっている。

なかなかよく出来ていて面白いのだけれど、カメラアングルとか、役柄の性格描写などは、やはり1973年英国のEMI製作の映画「オリエント急行殺人事件」(上の画像の作品)の影響を受けていると思わざるを得ない。

あれは、名作だった、と、私は思っている。アート系映画の好きな友人に言わせれば、有名なスターを並べた映画なんか、ふん、という感じだったけれど、私はああいう派手なものも好きだ。

1973年のは、監督はシドニー・ルメット。「12人の怒れる男」を作った監督だから、この映画にうってつけ。名探偵ポワロは、英国俳優のアルバート・フィニー。

有名な話だからネタバレしてもいいと思うけど、容疑者が全員犯人、という、ミステリーの常識を破るこの作品。ルメットは、こういう様々な階級、色々な性格の描写が上手いなあと、改めて思う。

登場人物は華やかだ。イングリッド・バーグマン、ローレン・バコール、ショーン・コネリー、ヴァネッサ・レッドグレイブ、マイケル・ヨーク、ジャクリーン・ビセット、ジョン・ギールグッド。

まあ、そういう名作だから、三谷幸喜もきっと大好きだったのだろうね。

ポワロの野村萬斎のオーバーな演技も、アルバート・フィニーを踏襲しているように見える。というのも、英国ドラマのポワロは、もっと地味でケレン味のない性格。実際小説のポワロも、フィニーや萬斎のほどアクが強くない。

ハパード夫人役の富司純子の演技も同様。衣装も、1973年作品のローレン・バコールの感じにそっくり。

「オリエント急行殺人事件」の映像化は何本もあるけれど、こうして新旧作品を比べてみるのは、大変楽しい。西洋ではシェイクスピアやオペラ、日本では能、歌舞伎など、伝統芸能は同じストーリーを演出や役者を替えて100年以上上演を続けているわけだが、その時代その時代でファンを獲得して人気が衰えない。クリスティ作品も、そういう「十八番」のようになって、愛され続けるのではないか。

次にポワロを演じるのは誰か。これこそベストポワロ、と言われるようなポワロがこの先出てくるのか。大変に楽しみである。

***

たった一つ、三谷作品で残念なのは、時代設定が昭和初期なのに、和服を着ている人物がメインキャストでは一人も登場しないことだ。住まいも、豪華な洋館。椅子の生活。万事西洋式の豪華な寝台特急。

床の間つきの和室や、よく手入れされた和風庭園などは、皆無。食事もナイフとフォーク。

戦前の日本の上流階級は、こんなに洋式一辺倒だったのだろうか?

確かに、現在の庭園美術館(旧朝香宮邸)などを見ると、豪華な洋風の生活こそ上流階級の証だったのかとも思えるけれど。

まあ、あのような作品に、時代のリアリティは求めないことにしよう。スターのずらりと並んだ華やかな映画。ファンタジーとして楽しめばいいのかな。





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映画「ガス燈」 [映画]


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今日は1944年製作の映画「ガス燈」をAmazonプライムで鑑賞。

イタリアで出会った音楽家と結婚し、彼の希望で、長年空き家になっていたロンドンの家に住むことになった若い女性。これが最高に綺麗なイングリッド・バーグマン。

そのロンドンの家とは、彼女叔母で育ての親である有名なオペラ歌手が殺された家。

その家に住むようになってから、彼女は物忘れがひどくなり、夫からは盗癖を責められ、家庭に引きこもるようになる。

さらに、夫が夜仕事場に出かけると、屋根裏で人が歩くような音がしたり、ガス燈の火が暗くなったり、奇妙なことが起こり、彼女は自分自身が精神病なのだと信じるところまで追い詰められていく。

そんな彼女を救うのが、スコットランドヤードの(?次長と呼ばれているから相当偉いらしい)ジョセフ・コットン。

女は、彼に一つ一つ理論的に説明されて覚醒していく。

結局は、全て夫の陰謀なのだけれど、詳しくは作品を見て欲しい。

***

白黒の画面に、霧の夜のロンドン。ぼんやりとしたガス燈の中で、精神的に追い詰められていく女の描写がぴったりマッチして、バーグマンはアカデミー主演女優賞を受賞している。

だいたい、イングリッド・バーグマンという人は、割と大柄で、首や肩などもたくましく、神経質な印象は全くない女性。それに、瞳も知性を感じさせるから、それでも夫に追い詰められていく弱々しい妻に見えるのは演技力の賜物だろう。

そして、彼女を追い詰める夫のシャルル・ボワイエが、本当に冷酷そのもので、これも素晴らしい。

ボワイエの身のこなしを見ていると、古い時代の紳士はこのようだったのだろうと思える。帽子の扱い、女性のエスコートの仕方、コートの脱ぎ方など、全てが自然で優雅。

ボワイエは1899年生まれのフランス人。のちアメリカに渡った。古い映画を見る楽しみは、こういう俳優や女優を見られることだろう。



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映画「ダイヤルMを廻せ」と「ダイヤルM」 [映画]


ダイヤルMを廻せ [DVD]








ダイヤルM [DVD]







立て続けに二本の映画を見た。

一本は、アルフレッド・ヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ」。
1954年の作品で、主演はグレース・ケリーとレイ・ミランド。

もう一本は、そのヒッチコック作品のリメイク版「ダイヤルM」。
1998年製作、主演はグウィネス・パルトロウとマイケル・ダグラス。

ヒッチコック版はロンドン、リメイクはニューヨークの高級住宅が舞台となっている。お金が必要な夫、財産家の妻、妻には愛人がいる。夫は妻を殺して遺産を手に入れようと殺人を依頼する。

そこで妻が殺されてしまえば、普通の推理ドラマなのだが、その殺人者が逆に抵抗する妻に殺されてしまう、というのが意外な展開。

夫は必死で証拠を隠そうとし、さらに、妻に罪を着せようとする。

ヒッチコック版は、舞台劇のような構成になっていて、ほとんど屋外のシーンが無い。推理の展開も、本格的。殺人者は鍵もないのにどうやって部屋に入ったのか、それは妻がわざと彼を呼び寄せて、正当防衛に見せかけて殺したのでは無いか、というもので、妻は逮捕され、死刑判決が出るところまで追い詰められる。

しかし、夫によるトリックだったということが発覚。妻はギリギリのタイミングで助かる。

推理小説によくあるけれど、犯人が証拠隠滅を計って色々する小細工が、結局犯罪の証拠となってしまうパターン。

グレース・ケリーは綺麗だし、レイ・ミランドは容貌からして一癖あるし、トリックもよく出来ているし。さすがヒッチコックという感じ。

リメイクの「ダイヤルM」は、それをさらに捻って、夫が殺人を依頼した者がさらに殺し屋に殺人依頼をし、妻に殺されるのは殺し屋。夫は、最初の依頼者に恐喝される、という展開。

ストーリーに破綻はないが、ヒッチコック版が「鍵」をトリックの鍵にしているのに比べると、「鍵」の印象は弱まっている。そして、夫の底知れない恐ろしさが際立つ。

両方ともたいそう優雅な暮らしぶり。ロンドンの方はリビングルームとベッドルームの2部屋だが、贅沢な調度品や夫がケンブリッジを卒業していることなど、さりげなくクラス感が盛り込まれている。

ニューヨークの方は、書斎だのクローゼットだの、玄関から奥の映像が果てしなく広い。まるで博物館で暮らしているような感じ。妻の資産は約1億ドルという実数値まで登場。

妻が夫を、夫が妻を殺す、というミステリー小説は多いが、こんな風に映像化されると、結構生々しい。財産家で、夫と不仲な妻は要注意だ。100億円の資産のある奥様は、お金の苦労をしている夫は持たない方がいいのかも。(そんなお金持ちの奥様を、私は一人も知らないけれどね。)










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ウィルス、恐るべし 映画「バイオハザード」 [映画]

「バイオハザード」は、ずいぶん前の映画だけれど、今、リアルな恐ろしさを感じさせる作品だ。

アンブレラ社の地下研究所で、戦略兵器として開発されたTウィルスが漏れる。社員は次々と感染し、AIが施設を封鎖する。しかし、そこを捜査しようとするもの、秘密を探るものなどが潜入を試みることでウィルスは地上へと拡散していく。

Tウィルスは死者を蘇らせるという性質のものだが、蘇った死者は知性を失って、健康な人間の肉を食べるという本能のみで行動するから、次々と人間を襲って噛みつく。生きたままゾンビに食べられるのは悲惨だ。運よく食べられなくても、少しでも傷つけられた人間は、また同じ「ゾンビ」となって人間を襲う。そうやってTウィルスは拡散していくのだ。

...と、私が拙い文章で書くと「キワモノ」映画、B級映画、という感じがするけれど、監督が上手いのか、近未来のセットはスタイリッシュだし、ヒロインのミラ・ジョボビッチは強く美しい。なかなかの見応えなのだ。

地下施設を全滅させたウィルスは地上に拡散し、一つの町を廃墟にしてしまう。アンブレラ社は軍隊(?)まで投入して、その町を核爆弾で焼き払うが、それでもウィルスは広がっていき、3作目では清浄な地域はアラスカのみという状況。4作目は渋谷のスクランブル交差点でゾンビが人を襲う場面から始まり、5作目ではワシントンDCも廃墟である。ウィルスの拡散力、恐るべし。

今回の新型コロナの拡散で、私は思った。バイオハザードのゾンビは、家の窓に人影を見たりすると、食料と思って襲撃してくるが、新型コロナは、自分から窓を破って襲ってくることはない。自分からウィルスに会いに行かない限り、または、運悪くウィルスとすれ違わない限り、感染することはないのだ。

そう思えば、家にいることはいくらでも我慢できる。
「バイオハザード」1〜5のDVDを、これからポツポツ見直してみるつもりだ。6は未入手。これも通販で買おうかと思っている。確か、最後に抗ウイルス剤ができて、人類は救われるのではなかったかしら。

新型コロナも、早く特効薬ができるといい。
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映画「うちの執事が言うことには」 [映画]

ショッピングモールをぶらぶらしていて、なんとな〜く、チケットを買ってしまったのが「うちの執事が言うことには」。

キーワードは「執事」。
ポスターは若い男の子ばかりだったから、カズオイシグロ「日の名残り」のような執事の物語を期待したわけではなかったが、ミステリー小説が原作となっているらしいし、和製の執事がどんな風に描かれているのか見たくなった。

で、見始めると、これは軽〜くみられる少女漫画テイストの映画。
劇中で起こる事件も殺人未満で、「血まみれの惨劇」や「大がかりなトリック」、社会の歪みや人間性の悲劇などとは無縁である。

名門烏丸家の若き当主と、同じく若き執事が、事件を解決する中で互いの信頼を築き、その他の使用人や友人との絆を深めて行くと言う、なかなか「いい話」なのだった。

見ているうちに「あれ〜?、どこかでこういうの、見たかも」という思いがどんどんふくらむ。

そして、気がついた。
これは、昔テレビでやっていた時代劇にそっくりな展開なのだ。

例えば、どこかの旗本が隠居して、若様が家督を継ぐ。まだ若く、未熟な若様。大抵は「わか」などと呼ばれる。そして、その家には忠実な家老がいて、「わか」をお助けするのである。

「わか」の方は、うるさがって反抗しつつも、家老の愛情は信じているから、何かと頼りにする。家老が老人の場合は「じい」と呼ぶが、この映画では「じい」ではなく、ハンサムな若者である。

さらに、この旗本家にはご家中の「侍」、お供の「中間」、植木の手入れをする「庭師」、料理や掃除をする「奥女中」、その見習いの「小女」などがいる。

彼らは運命共同体であって、お家の安泰のためなら命も捨てる覚悟だが、そこに単なる職業意識以上の「情」が絡んで、皆が若様をこよなく愛しており、若様の方も「家中」を命がけで守ろうとする。その自覚によって「名君」に育って行くのである。

そのような人間関係が、本当に江戸時代にあったかどうかは、私はわからない。
ただ、テレビの時代劇では、こうした物語が繰り返し描かれ続けてきて、ずっと人気を博してきたのである。

「うちの執事が言うことには」で描かれるのは、西洋風のお屋敷での生活、主人と執事、家政婦、運転手など英国風の人間関係だが、これは和風を洋風に置き換えただけで、そこに流れる感情は、「大岡越前」「遠山の金さん」などと全く同質のものなのだ。

それを踏まえて考えると、この映画は、日本中、老若男女、誰でも楽しめる作品と断言できる。それは、すでにかなり昔から、小説、テレビ等で実証済みだからだ。

最後まで見たら主演と助演がジャニーズの子で、これは多分にファンサービスの要素たっぷりの作品であるらしい。最後までそれに気がつかない私って、そして、この映画を見て大岡越前などを連想している私って、かなり時代遅れなのかもしれない。

なんだか、ショック・・・





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