SSブログ

郵便局は大行列 [ブログ]

あ〜、びっくりした。

ある勉強会に入っていて、仲間が、どうしても必要な本が手に入らないと、グループメールでぼやいていた。図書館も本屋も休みだし、Amazonは一時的に品切れ。古本屋は、原価の3倍の値段をつけているという。

私はその本を持っていたので、すぐ送ることにして、郵便局に直接持ち込んだ。休日でも、地域の中心的な郵便局は、郵便物、小包類の送付窓口を開けているし、本一冊くらいだと、宅配便よりも郵便の方が値段も安い。封筒に入れて、宛名を書いて、あとは窓口で料金を計算して貰えば良いと、散歩がてら郵便局に行ってみたら...

何と!

郵便局前に長蛇の列が!

最初は、記念切手の発売か何かかと思ったけれど、こんな国民の休日、しかも緊急事態の時に記念切手なんて売るわけない。

列の最後に並んで前の方を見ると、50mばかり、人々が小包を小脇に抱えて並んでいるのだ。このご時世だから、ちゃんと「ソーシャル・ディスタンス」を厳守して、2m以上の間隔を開けているのは素晴らしいけれど、一体、どうして今、小包なのか?

私は、自分も小さな包みを抱えているのを忘れて、立ち尽くしてしまった。

一つ考えたのは、ゴールデンウィークでも帰省を自粛している息子や娘に何か送ってあげようという親心。中高年が多かった。

しかし、若い人もたくさんいた。故郷の親にプレゼント?よくわからない。(本やゲームやDVDを友人に貸す、なんていうのも有り?)

行列は遅々として進まない。順番まで30分以上は並んだと思う。休日用窓口は二つで、自分の番になったら、あっけないくらいすぐに用事は終わった。やれやれ。

勉強会の仲間にメールを入れたら、すぐに感謝のメールをくれた。何か良いことをしたような気がして、清々しいが、あの郵便局の混雑は、いまだによくわからない。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

カズオ・イシグロ「日の名残」 [本]

小説も映画も好きな作品。それに、この作品には、ちょっとした思い出がある。

まず、小説を読んだ。1992年頃だったと思う。物語は、WW2直前の時期のイギリスの貴族に仕えた執事の回想である。その貴族は、WW1以降インフレに悩むドイツへの純粋な同情心から、結果としてナチスの協力者となってしまう。終戦後は国民からの非難と失意の中で亡くなった。

執事は、自分の仕事に熱心で、自分の主人の思想に疑問も抱かず、また、同僚の家政婦ミス・ケントンとの淡い恋も逃してしまう。彼は、晩年になって、自分の人生を振り返りつつ、今は人妻となったミス・ケントンに会いに、古い車に乗って旅に出るのである。

旅をしながら、英国貴族として申し分ない人物だった主人、その主人がナチスを屋敷でもてなし、自分はそれを一世一代の大仕事として満足感とともにこなしたことなどを思い出す。

その仕事の最中に、ミス・ケントンの遠回しの告白を受けながら、それどころではなく冷たい対応をしたために、ミス・ケントンは去って行った。

仕事一筋だった人生は、今は苦い思い出となっているのである。

何かを期待して会いに行ったミス・ケントンとも、思い出を語り合うのみ。人生の落日の時、彼は今まで通り孤独であることを思いながら、また仕事へ戻っていく。

***

その翌年、ロンドンに行った時、ちょうど映画「日の名残」を上映中だったのだ。なんという偶然。神様のお導きのような気がして、大喜びで見に行った。当時、ロンドンの映画館は、料金が2種類あった。その高い方のチケットを買って、全部英語、字幕無し、の「日の名残」を観た。

私は、昔も今も英語は苦手である。それでも、原作を愛読していたおかげで、ストーリーや微妙な感情表現は全部理解できたように思う。

そんなこともあって、小説類を大幅に処分した時も、「日の名残」は残しておいた。

その20数年後、作者のカズオ・イシグロがノーベル賞を受賞した時、「日の名残」は文庫本になっていて、飛ぶように売れていた。

私は埃臭いハードカヴァーの「日の名残」を取り出して、くしゃみをしながら再読した。(アレルギーなのか、古い本を開くと必ずくしゃみの連続。苦手である。)

この本を熱心に読んだ頃は若かったから、自分が年老いた時、主人公の執事のような苦い後悔などするはずがないと思っていた。後悔のないように生きたい、などと意気込んで。

でも、30年近い時が過ぎた今は、やはり私も...という思いがいっぱいである。



nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:

雑草よ、去れ! [ブログ]

今日もガーデニング。
ガーデニングというと聞こえは良いが、やっていることはほぼ「草むしり」。抜いてしまうのが惜しいような草花は、別にスペースを作って移植。その繰り返し。花を摘んだり、水をやったり、庭の配色を考えたり、インスタ映えを気にしたり、というオシャレなガーデニングまで、あと何年かかるだろうか。

その頃私は、自然素材のワンピースにカッコイイ長靴を履き、ポケットがたくさんついたエプロンをして、1日の大半を庭で過ごす予定だ。(ターシャ・チューダーを思い浮かべていただきたい。)

テラスに日除けを作って、椅子を置く。タブレットをいじれる机も欲しい。犬を飼うのも良い。シバ犬が好きだが、元気が良すぎると散歩の時大変だから、もっと小さな愛玩犬が良いかもしれぬ。

なんてね、夢、夢。

多分、ズ〜っと、雑草を引っこ抜く作業を繰り返しているのだろう。ターシャは、雑草はどうしていたのだろうか。写真では広い庭いっぱい、美しい花が咲き乱れているが。外国では雑草は生えないのだろうか。

このところ、風が強い。デニム生地のダボっとしたシャツを着て、髪を振り乱しながら、ひたすら雑草を抜いている。今までどれだけほったらかしにしてきたか、ということだ。サボった報いが、今来ているという感じ。

それでも今は雑草に救われている。疫病よ、早く去れ!と、心の中で呟きながら、雑草に八つ当たりできるのだから。


nice!(2)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。